第26夜 理屈じゃない




  とエンティルの様子が変わった。

  否、エンティルは変わらない。
  のエンティルに対する態度が変わったのだ。

  時より無邪気な面を見せていたが、エンティルの前では、まるで無邪気な少女そのものになっていた。

  ふたりの距離は近くなっている。

  何があったのかは分からないが、それは明らかだった。

  リナリーは、「兄妹みたいねv」と、それを羨ましくも微笑ましく思ったいた。
  だが、それを羨ましく思うも微笑ましく思えない者たちもいた。





第26夜 理屈じゃない





  食堂―――。

  「、お茶にケーキをどうぞ」

  「わーいv
   ―――あ、このケーキ、お茶に合っておいしい!」

  「厨房を(許可無く勝手に)借りて、俺が作りました」

  「本当にエンティルは料理上手だよねぇ〜」

  「料理はキライじゃない。がおいしいって言ってくれると、うれしいから」

  「そうなんだ・・・」

  穏やか微笑んで言うエンティル。
  は面と向かって言われ少しテレてしまった。

  普段が表情が乏しい分、こういった時に不意に見せる彼の微笑は反則ものだ。
  本人は気づいていないが、ほのかに色気を感じさせていて男女共にドキッとさせられる。

  だがもう慣れてしまったのか、はなんとも無いようだ。

  「口元、ついてますよ」

  「ん」

  の口元をエンティルが拭いてやる。

  「エンティルも食べない?食べれないワケじゃあないんでしょう?」

  魂が無限のエネルギー源であり、それによって構成されているため肉体が不老不死であるエンティルは、
  食事をしなくても生きていける。

  食べれない訳ではないし、食べること自体には問題無い。
  しかし彼にとって、無くても構わない必要ではないこと。食べるという行為は無駄で無意味なものなのだ。

  彼は、そんな無駄で無意味なことはしない。

  「一緒に食べよう。はい、あーん」

  「・・・・・・あー・・・」

  だがの誘いを断るハズがない。
  彼女が一口ぐらいのケーキの塊を刺したホークを差し出すと、エンティルは口を開いた。

  「オマエらっ・・・」

  パキッと折れる音が響いた。

  と、ケーキをパクっと口にしたエンティルが振り向く。
  見れば、青筋を浮かべて怒りで身を震わせる神田の手の中で、蕎麦を食べるための箸が折られていた。

  「さっきから人の目の前で何してやがるッ!!」

  目を吊り上げた恐ろしい形相で、怒りを爆発させた神田が怒鳴った。

  「何って・・・」

  「何か問題でも?」

  神田が怒っている理由が分からないと、ぬけぬけと訊き返すエンティルに、余計に腹が立った。

  「なんだ、羨ましいか」

  「なっ・・・」


  言われて、羞恥と怒りにカッと神田が顔を赤くさせた。

  「羨ましいって・・・」

  様子を伺うように神田を見詰めるに、悟られた恥ずかしさに彼は顔をそむけた。

  だがの視線は神田のあと、ケーキへと移る。

  「ユウも、ケーキ食べたかった?」

  こういった人の感情には鈍いが気付くはずもなく。
  落胆のあまり倒れそうになったのを、なんとか神田は持ち堪えて叫んだ。

  「違う!」

  「さすがはだ」

  「誉めんな!」

  よしよし
の頭を歓心して撫でるエンティルを鋭く睨みながら怒鳴る神田の声は、虚しいものだった。





* * * *





  科学班―――。

  今日も見渡す限り、書類の山、山、山・・・。

  はエンティルと共に書類を処理にしていた。

  エンティルがその気になれば書類の山も数分で消えるだろう。
  だが彼は手伝いはするものの、その気にはなれなかった。
  の負担を軽くするならともかく、過労死予備軍の手助けをするのが気に食わないからだ。

  「痛っ」

  が漏らした声にエンティルは敏感に反応した。

  「ケガを?」

  「ちょっと紙で切れただけ。―――あっ、血が・・・!」

  切ってしまった指先から血が書類に垂れそうになり、止血するのに慌ててハンカチを探す。
  その血が出る指、手を素早くエンティルが取り口に含んだ。

  「「「「「わぁああああああッ!!!」」」」」

  コムイを中心とした科学班たちが悲鳴にも似た叫びが上がった。

  エンティルの口から血が舐め取られた指が出されると、すぅーと傷口が消えていった。

  「え!?キズが!?」

  「――――構成能力。俺は自らの身体を魂を入れる器として、原子・分子・粒子など、構成させて創りあげている。
   破損すれば、その部分も治すことができる。他人は不可能だが、のケガなら触れれば俺は同じように治せます」

  「すごい!ケガが瞬時に治せるなんて!」

  「でも勘違いしないでほしい。俺のこの能力は構成だ。治すと言っても、正確には創り代える。
   再生させるのでも回復を早めるのでもなく、破損した部分ごと切捨て、まったく新しいものに創り代えるんです」

  「へえ」

  「自己再生や回復では限度や痕、後遺症が残りますが、構成は創り代えるので、それらの心配は要りません。
   でも素からの俺はともかく、の場合――治すケガが重傷な分、
   神経が付いていくのに時間がかかる、という欠点がある。
   ケガを負ったままや生死をさ迷うよりマシだが、ヘタをすると昏睡状態が続きます」

  「つまり大きなケガは治さない方が好ましい、だから大きなケガはするなと」

  「是非ともムチャや無理なしないでもらいたい」

  「・・・戦う身の上だからね。一応、努力はするよ・・・」

  期待はしないでね、とは付け足す。

  「・・・俺も守護者として、を守るのに最善を尽くします」

  気のせいか、エンティルの顔がには苦労しているように見えた。

  (記憶を失う前の私、そんなにケガして困らせてたのかな?)

  余計に大怪我をしない自身が無くなってきただった。

  「コーヒーの差し入れでーす。・・・って、みんな、どうしたの?」

  トレイに数人分のコーヒーを乗せたリナリーが科学班にやって来た。

  「そういえば、なんだかやけに静かだね」

  「それは、ここの連中が仕事もしないで固まっているから」

  確かに科学班たちは、何かに衝撃を受けたような顔で口を開いたまま固まっている。

  もちろん、原因が自分たちにあるとはは知らない。
  エンティルにいたっては謎だ。

  「・・・・・・エンティルー・・・、エンティル覚悟おーーーーッ!!

  いきなり戻ったコムイがマシンガンとドリルを構える。
  しかし構えたマシンガンの先は360度曲がり、ドリルの先は潰れていた。

  「それ、ヒマ潰しに壊しといた」

  サラリと告げられる。
  エンティルによって、あらかじめ武器は壊されていた。

  「う・・・うわぁあああああああん!!」

  「「「「コムイ室ちょーーーーう!!」」」」


  涙ながらに呼び止める科学班たちの声も届かず、戦う術を失ったコムイは泣きながら逃走していった。

  「・・・何があったの?」

  「さあ?」

  「何があったんだろうな」

  心成しか、エンティルが楽しそうだった。





    * * * *





  書庫―――。

  仕事を終わらせたは本を探していた。
  読書が趣味な彼女は、何日かに一度、ここに来て本を借りていく。

  熱心に本棚を検索しているを、同じく常連のラビが発見した。
  だが声はかけず、しばらくの後姿を見詰めて、思いを巡らせた。

  ―――と、エンティル。

  ふたりの距離がゼロに等しいほど近くなったことを、誰よりも感じていたのはラビだった。

  エンティルが現れる前までは、の一番近くは自分だと、思っていた。

  それはお互い似たもの同士だから。
  趣味が同じという点だけでなく、心のどこかで他人と一線引いていた。

  自分は教団の者たちとは違い、エクソシストの他にブックマンとして使命を背負っている。
  が背負っているものがなんなのかは分らないが、彼女もまた自分と同じく何かを秘めていた。

  互いに同じ一線を引いているから、それ以上は互いに踏み込んでくる心配が無い。
  それは暗黙の了解だった。

  ―――オレにとって、は気が許せる存在だった。

  だが今は、その地位はエンティルに取られてしまった。
  いいや違う。これが元のあるべき位置なのだ。

  それでも・・・―――。

  「ーーv」

  「うわっ、驚かさないでよ」

  ラビは後ろからに抱きついた。

  「あったかい、やわらかい、気持ちいいさ〜」

  「セクハラなら抱きつくな!」

  一喝するの抱きついたまま、耳元でラビは呟きだす。

  「――――は、何を背負ってんの?」

  一瞬、の体が震えたのを、ラビは見逃さなかった。

  「別に無理やり訊きだす気はないけど、―――オレらには言えないのにエンティルには言えるんだ?」

  ラビは確信していた。

  ――――エンティルはの背負う何かを知っている。

  「・・・・・・なんのこと?」

  笑顔で聞き返すだが、ラビは誤魔化されない。

  エンティルは知っているからこそ、誰もが踏み込めない中心に入り、彼女の一番近くにいることを出来るのだ。

  「そんなに、オレらって頼りないんか?
   は・・・オレらのこと、仲間だとホントに思ってんの?」

  問い詰めるような言い方だった。

  これは暗黙の了解を破る行為だが、踏み込めないのにエンティルが踏み込めるということが、もしかしたら自分もと、
  不安と焦りがはやし立て、ラビの口を動かしていたのだった。

  は振り返ってラビを見る。

  彼女の顔は、切ないほど、悲しげだった。

  思わず、ラビは抱きしめていた手を離して身を引いた。

  「ラビ」

  落ち着いた涼やかな声では告げる。

  「ラビだから言うけど、背負ってるものは・・・あるよ。
   でもね、言わないんじゃなくて、言えないことだってあるんだよ。
   ・・・エンティルにも、何も言ってない。それでも彼は知ってる」

  澄んだ瞳がラビを映す。

  「だから・・・、頼りにならないとか思ってない。みんなを仲間だと思ってるよ。
   でも仲間なら、なんでも話せるとは限らない。仲間でも、言えないことはあるでしょう?
   ―――わかっていたでしょう?

    聞き返され、答えることがラビには出来なかった。

  「いいよ、何も答えなくて。
   ―――迷いや不安で、時々、見えていたものが見えなくなる時がある。
   確かめずにはいられないんだよね・・・」

  見透かしたようは言うと、書庫から静かに出てった。

  「・・・っ」

  慌ててあとを追おうとしたが、途端に大量の本が頭上から降ってきた。

  「ぎゃあああああああ」

  ラビは本の生き埋めとなった。

  「ざまーみろ」

  本棚を挟んだ向こう側でエンティルが言い捨てていた。





  (まったく、あの眼帯・・・余計なことをしてくれたな)

  軽く溜息を吐きながら、エンティルは教団の森の中を歩いていた。

  (は繊細なのに・・・・・)

  皆はを強いと思っている。確かに彼女は強い、その意志は。

  だがその心は、繊細で脆い。

  強さで保ち、気丈に振る舞い弱さで隠しているのが本当だ。

  平気そうにしていたが傷付いたに違いない。

  「

  抱えた膝に顔を埋めて座るの姿を見つけて、エンティルは声をかけた。

  は顔を上げる。

  「・・・よく、ここがわかったね」

  「どこにいたって、のいる場所ならわかります」

  優しく微笑みエンティルはの隣に座った。

  「―――が気に病むことじゃない」

  「・・・聞いてたの?」

  エンティルは頷く。

  「出て行って止めることもできたが、はそれを望まないと思ったから、陰で様子を伺っていた」

  「・・・ありがとう、そうしてくれて」

  そっとエンティルが手を伸ばし、の髪を撫でる。

  「それで、私を慰めに来てくれたの?」

  「これも俺の役目ですから」

  「ごめん・・・」

  「が謝るのは可笑しい。俺は役目をしいられてるんじゃない、そうしたいと思ったら、そうしてるまでです」

  「イヤだと、思ったことはない?」

  「無い」

  強く即断言された。

  「どうして?」

  不思議で仕方なかった。
  本当の自分に付き合うのはめんどうだし、精神的に疲れるんじゃないかと、自分では思うのだった。

  「説明するのは・・・難しいかもしれない」

  「説明できないの?」

  「これは理屈じゃないから」

  あえて言うならと、エンティルは少し考えてから告げた。

  「何も無かった俺が、はじめて得たものだから」

  から視線を外し、昔を思い出す。

  「はじめてを見た時、暗かった視界が明るくなった気がして、直感した。
   ―――俺はのために生まれてきたのだと

  「それを、あなたは生まれてきた意味、これから生きる意味にした、と?」

  「そうしなければ俺は存在は無いと、魂が叫んでいた。
   結局は、俺がそうしたいから。自分のためでもあるんです」

  「・・・でも・・・・・」

  「ならは、《終止者》として使命をイヤだと思ったことはない?」

  「・・・・・苦しかったり、辛いと思う時はあるかもしれないけど、イヤだと思った時は無い・・・と思う・・・」

  「それはが《終止者》として、そういうふうにできているからです。
   同じく俺も《守護者》として、そういうふうにできてる。理由なんて無い。最初から、そうできているんだ

  「・・・そっか。理屈じゃ、ないんだね」

  「俺たちは、ね」

  人間とは違う。
  魂に刻まれた力と意味。だから理屈では言い表せない。

  「・・・・・明日、ラビにいつものとおりに接したいな」

  「断固無視して冷たく接することをオススメします。徹底拒絶」

  「そういうワケにはいかないって」

  は苦笑する。

  「だってアレは、きっとラビ自身のことでもあるから。
   だから余計に私の答えを聞きたかったんじゃないかな?何かで心境が揺らいで、言ってしまったんだと思う。
   私の答えがラビの答えになったかはわからないけど、たぶん聞いてしまったことを後悔してるよ」

  「・・・優しいな、は」

  「エンティルも優しいよ?」

  「限定でね」

  互いの顔を見合い、ふたりは笑った。

  ふと、エンティルの顔が近づく。

  ・・・頬に、そっと優しいキスをされた。

  きょとんとするに、エンティルは穏やかに微笑んだまま。

  「害虫避け」

  「害虫・・・?そんなに、この森って虫いる?」

  「森どころか教団中に、たちが悪いのが」

  「?」

  本当の虫ではなく、違うものを例えているだろうと思うも、それが何を指しているかまで考えつかないだった。

  しかし今、彼女の心は先程に比べて晴れやかだ。

  エンティルが自分のあとを追ってきてくれて、話をして良かったと、は感謝した。





  ―――翌日。

  いつものように自分に接してくれるに、ラビは安堵していた。

  そしてエンティルは不満そうで、いつもよりラビに攻撃的だったとか・・・――――。









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