狂気



深く―――、深く――――――。

どこまでも・・・。

沈んでく、感覚。


すべてを呑み込まれ。堕ちていく。

どこまでも・・・、どこまでも・・・。

底知れぬ、闇。

ジワジワと、一滴のシミが広がるように―――。
大きく、大きく、シミで染まりきるまで、ジワジワと広がる。

無限の闇。

そしてすべてを呑み込まれ、堕ちていく。

―――わかってる。理解している。
自分が少しずつ、長い時間を掛け、侵食されていることに。

それでも、それでも、どうしようもない。どうすることも出来ない。

俺ひとりの力では・・・。

元々は、俺は闇だった。生まれた時から闇だった。

でも、に出逢って光に照らされた。
が俺の主になってからは、光に照らされた部分から俺の闇は、少しずつ消えて行った。

は『光』だった。

でも完全に闇が消える前に、闇を消してくれる光は居なくなった。
俺の前から居なくなった。

突然の、別れだった・・・・・―――

消えずに残った闇は・・・ジワジワと、一滴のシミが広がるように―――。
大きく、大きく、シミで染まりきるまで、ジワジワと広がる。

再び、無限の闇。

そして底知れぬ闇に身が沈んでいく。

深く―――、深く――――――。

今度はもう二度と、光が届かないかもしれないトコロまで―――・・・。

ソレに比例するように、愛しさが増していく。
逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて・・・。愛しくて、愛しくて、愛しくて・・・。

狂ってしまいそう。
愛し過ぎて。


何度、の魂と同化してしまいたいと思ったことか。

そうすればずーっと一緒にと居られる。
死んでも。転生しても。

そしてソレはもうすぐ実行される。

自分の些細な思いつきを別にしても、もう他に手が無いから。
もう他に、を救う手段が見つからない。見つけられなかった。

―――俺はもう、ギリギリなんだ・・・。

愛情に、狂っていく―――。狂いだす――――・・・。





第九夜 狂気





目の腫れを直すため、一度部屋に戻ってリナリーは顔を洗った。

兄や皆にも迷惑をかけてしまった。
もう大丈夫だと、早く顔を見せたいので科学班に急ぐ。

だが廊下を歩いている途中、後ろから呼び止められた。

「リナリーさん、少しよろしいかしら?」

振り返ればいたのはシリアだった。

できれば個人的に会いたくない人物。しかし声をかけられては無視できない。

「ええ・・・、何か・・・?」

「エンティルを、貴女はどう思っていらしゃるの?」

「!?」

いきなり単刀直入な質問。
まるで挑発でもするようにシリアは笑顔を貼り付けている。

「わ、私はエンティルのこと・・・大切な、仲間だと・・・」

「仲間?仲間ねェ〜」

動揺しながらも、なんとか平常心を保って誤魔化す。

リナリーはエンティルへの想いを自覚していた。
かと言って「好き」だの「愛してる」など、簡単に口にすることは出来ない。
どんなふうに伝わるかなどわかったものではない。

下手をして人伝えに兄であるコムイにバレてしまったら、とんでもないことになる。
錯乱したあげく何を仕出かすかわからない。

まあ、何かしでかしてもエンティルならなんともないだろうが。
それでエンティルとの距離を離されたくない。
会うことさえ許されないかもしれない。

―――絶対に、誰にも言えない―――・・・

「でも、他の仲間とは違うんでしょう?大切な仲間でも、他の人とは違った意味で<大切>なんでしょう?」

シリアは明らかに疑っていた。

的確に確信を突いてくる。

「私ね、彼にフラれちゃったの」

「え!?」

「彼にはね、想い人がいるのよ。貴女も訊いてるんでしょう?彼の主のこと。
―――その主が彼の想い人よ」

突然フラれたことを告白したシリア。さらにエンティルの想い人は彼の主だと言い出す。

「・・・女の人・・・なの?」

「そうよ」

シリアがフラれた理由が<想い人>がいるからなら、エンティルの主は<女>だということだ。

エンティルが主のことを深く想っていることは知っていた。

別に性別が男とか女とかは深く考えていなかった。
<想い>は主従関係での忠誠心としてだと思っていたが、相手が女だとしたら、<想い>とは恋愛感情として<好き>だとか<愛してる>だとかなのかもしれない。

「でもかわいそうに・・・。あんな女と契約を交わしてしまったばっかりに・・・・・」

「どういうこと?」

「あの女は、とても酷い女だわ。あの女と主従の契約を交わしてしまったために、
捨てられた今もまだ、彼はあの女に縛られ、束縛されて、解放されていない

「捨てられた・・・?解放されてないって・・・」

聞き捨てなら無い単語に不吉なものを感じるリナリー。

「私じゃ無理なの。
―――ねぇ、リナリーさん。貴女はエンティルの心を開くことが出来るかしら?

哀しそうな顔で、シリアが頼む。

「彼を、救ってあげてください」

参考になるならと・・・、エンティルと彼の主についてをリナリーに教えだした。

出来るだけ簡潔に――。出来るだけリアルに――。出来るだけあの女が酷い女のように――。

―――さあお願いね。
あの女を酷く思って、彼を哀れだと思って、彼の心に上がり込んで。
私のためにね・・・・・・―――





シリアは自分が教えることを終えると、リナリーを残してその場を離れた。

せっかく目の腫れが引いたのに、また赤く腫れているだろう。
またリナリーの瞳からは涙が流れているから・・・。

「エンティル・・・・・・・・・」

うつむいて両手を握り締め、哀しみを噛み締めるように彼の名を呟いて涙を流す。

そしてリナリーは涙を拭うと、何かを強く決意したような表情で走り出した。

エンティルの元へ―――――。





* * * *





リナリーはエンティルを教団中探し回った。だが、どこにも居ない。

仕方なく監視用のゴーレムで場所を特定しようと科学班へと入って行った。

「!?リナリー!?」

息を切らしながら駆け込んできたリナリーに、コムイは何事かと思った。

「どうしたんだ?そんなに慌てて・・・。―――ああ、目も腫れてる。かわいそうに・・・・・・・」

コムイを含めて誰もが、リナリーの目が腫れてるのはエンティルに泣かされたせいだと思っていた。
一応エンティルが原因で泣いたのは間違いではない。

「兄さん!エンティルはっ!?エンティルは今どこ!?今すぐ会わせて!!!」

コムイにしがみついて問いただす。

「リナリー・・・どうしたんだ・・・?」

エンティルの名に、彼がまた可愛い妹に何かしたのではと顔を顰める。

「私・・・、エンティルに心を開いて欲しい!!彼を救ってあげたいの!!!

リナリーの手に力がこもる。

「お願いっ、彼の居場所を教えて・・・っ!!」

いったい何があったのか必死のリナリー。みんな不思議だった。
彼女の様子に押されるように、リーバーがモニターを覗いてエンティルの場所を見つけた。

「えっと・・・エンティルは・・・、ココにいる!?

特定された場所はココ、科学班だった。

改めて回りを見渡すと、いつの間に居たのだろうか、ちゃっかり科学班員達の中に紛れてそこに居た。

全然気づかなかった・・・。

「エンティルっ!」

エンティルの側にリナリーは駆け寄った。

「私・・・あなたを救いたいの」

「救う?俺を?<救う>って何?何がしたい?」

「エンティル・・・、エンティルは騙されてるんだよ。あなたの主に・・・」

「!?」

リナリーの言葉にエンティルは反応した。

「教えてもらったの。―――エンティルの主になった女の人は・・・あなたを捨てた・・・酷い人。
でも契約で縛られているから、今もその人から離れられない・・・。
ほんとは捨てられたことに気づいているのに認められない。心すら束縛されて自由になれない。
契約から解放されないかぎり、救いが来ない・・・・・。騙されているのも当然だって」

必死のリナリー。エンティルの表情が険しくなっていくのに気がつかなかった。
そして彼の眼が・・・―――。

「私、あなたを救いたい!知っているなら教えて!
ねえ、どうすれば契約を解けるの!?どうすればあなたを解放できる・・・」

「何がわかる・・・」

「え・・・?」

「お前にっ・・・あいつの何がわかるッ!!!!」

「――――――っ!!?」


リナリーは驚きと、恐怖を感じた。

怒りの吐き出したエンティル。
そしてその何も感じない感じさせない眼は変貌。

金の双眼は殺気に満ち、狂気で染まっていた。

リナリーだけでなく他の者達も衝撃を感じた。

「何がわかるッ!?あいつの何を知ってるッ!?何も知らないくせにッ・・・!!!」

「きゃああ!!」

「リナリー!!」

乱暴にエンティルがリナリーの襟元をつかみ吊り上げる。
妹を助けようとコムイがエンティルの腕を押さえるが、彼の力ではビクともしなかった。

「おい、誰かっ!誰かこいつを止めてくれッ!!」

助けを求めるリーバーの声に呼ばれた訳ではないが、運良く任務でコムイに呼ばれていた神田とヒマなのでついてきたラビが飛び込んで来た。

「おっ、おい!何やってんさ!やめろ!!――ユウ!ユウも手伝えっ!!」

「チッ・・・!!」

感じたことの無い恐ろしい殺気。狂気の眼。
危険な事態に、ラビと神田も押さえつけようとエンティルに飛びつく。

だがコムイとエクソシストのふたりの力でも、彼はビクともしなかった。

「俺のコトをどう思おうがどう言おうが構わない!!でもあいつを侮辱することだけは許さないッ!!!!」

―――どれだけ俺があいつに救われたか、有り過ぎて数え切れない。

あいつと居ると俺の欠けた心が補われていった。
あいつは俺の欠けてしまった心を補ってくれた。

何も無い俺に、たくさんのモノを与えてくれた。

希望だった。光だった。

俺にとってあいつはすべて、存在意味・存在理由・存在の証だ―――

そして思い出される、泣いていた彼女姿・・・。

「あいつは宿命の中で、ずっと独りで怯えて・・・泣いていたんだ・・・・・・」

―――それなのに、それを・・・―――

エンティルの手が緩むと、ドサッとリナリーが床に落ちる。

「大丈夫か!?リナリー!」

コムイが心配そうに、ゲホッゲホッと咳き込むリナリーを支えた。

「今度ッ!今度あいつを愚弄するようなら、その時は・・・お前の心臓潰してやるッ!!!!」

しがみ付いているラビと神田を怪力で振り払う。
狂気の眼で鋭く睨みつけ言い捨てると、エンティルは荒々しく科学班を出て行った。

「エンティル・・・・・・」

そんなつもりじゃ無かったのに。ほんとに彼のためを思って、彼を救ってあげたかったのに。
あの<無>である彼を狂ったかのように激怒させてしまった。

これで完全に、嫌われてしまった・・・。

リナリーの瞳からは失望にも似た、悲しみの涙が流れた落ちた。

「あいつ・・・狂ってやがる・・・・・・」

静寂で誰かが呟いたのが、波紋のように広がって聴こえた。









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