第七夜 互いの想い




何時間経っただろう。

皆寝静まっていた。まだ科学班なら起きているだろうが。

今だ教団内をトボトボと歩き回っていたリナリー。
談話室の前に来ると、そこにはエンティルの姿があった。

気まずい・・・・・。

「ちょいと来い」

だが何も知らないエンティルは、こいこいと手招きする。

「おすわり」

私は犬じゃないんだから、と普段ならツッコムところだがそんな余裕は無い。

断る理由もなくリナリーは言われた通り、談話室のソファーに座った。

「待て」

だから犬じゃない。

待てと言ってエンティルは談話室から出て行った。





第七夜 互いの想い






しばらくすると、ティーポットとカップを乗せたトレーを持って戻って来た。

トレーを置くと、カップにティーポットの中身を注いだ。
たちまちいい香りが広まる。

「・・・紅茶?」

「魔法のお茶だ」

「魔法の・・・お茶?」

「俺がブレンドした。ただ紅茶なんだが、そう呼ばれてた」

そう、あいつは俺がブレンドしたお茶を、いつもそう呼んでいた。

「今のお前にはぴったりだろ」

エンティルはリナリーの前にカップを差し出した。

「え?」

「沈んだ顔。背後に黒い雲背負ってるぞ。まぁ、一口飲んでみろ」

カップの中に入った温かい茶色の液体を見つめる。
おずおずとリナリーは紅茶を口にした。

「おいしいっ・・・」

感激の声が出た。

「おいしい!ほんとにおいしいっ!!こんなにおいしいお茶を飲んだの、はじめて!!!」

反射的に暗さが吹き飛び、リナリーは目を輝かせる。

エンティルが入れた紅茶は、今まで飲んだどんなお茶よりもおいしかった。
こんなにおいしいお茶がブレンドして出来るなんて、驚きだ。

まさに魔法のお茶だと、リナリーは思った。

「でも意外。エンティルが、お茶のブレンドが出来るなんて」

「お茶を飲むと精神的に良くなるそうだから、覚えたんだ。
少しでも気持ちを楽にしてあげたかったから」

「してあげたかった・・・?」

誰かのためのような口ぶり。

――――それはいったい、誰のため?

「・・・それは・・・シリアのため?」

訊くのが怖かった。でも訊かずにはいられなかった。

「シリア?誰それ

「・・・え、誰って・・・シリア・アセリスよ?」

「ああ、アセリスか。俺、他人の名前を覚えない主義だから」

変な主義だ。

「しかし、なんでアセリスのためなんだ?あいつにこんなことする義理は無い」

「じゃあ、誰のために?」

エンティルの表情が変わる。彼が気を失う前に見せた、あの穏やかなものに。
変化にリナリーは不覚にもドキッとしてしまった。

「約束の話はしたよな。その相手、あいつのためだ。あいつのために、俺はイロイロしてきた。
紅茶のブレンド。料理作り。掃除に裁縫」

信じられないと目を見開くリナリー。

「意外すぎる・・・。あなたが家事するなんて・・・」

「あいつのためなら何でもするさ」

エンティルは懐かしそうに微かに笑った。

「・・・・・・・・・・・」

それはあの時・・・エンティルが気を失う前に見せた、あの穏やかな優しさ。
リナリーは理解した。

今彼は、彼が言う<あいつ>について話している。
あの時見せた穏やかさ、優しさは自分に向けられたものではなく、<あいつ>に向けられたものだったのだ。

ややトーンの低い声でリナリーは尋ねる。

「・・・あなたにとって、その人って何?どんな関係なの?」

「何と訊かれたら、あいつは俺の主だ」

「あ、主?」

「関係を表すなら、あいつと俺は<主従関係>。
あいつは俺と出来るだけ平等でいたいらしいから、普段はこいな感じで接してるんだ」

「誰かに仕えるってタイプじゃなさそうなのに・・・」

「そうか?」

「うん。どちらかと言うと帝王気質

「ま、そうだろうな。あいつは特別だ。あいつが居るから俺が居る。
自我を取り戻すことが出来たのだって、あいつが居てくれたおかげだ。あいつのためなら、俺はこの魂も犠牲に出来る」

「あなたが言っていた、果たさなくてはいけない約束も?」

エンティルは頷いた。

「約束は必ず果たす。問題はその後、残されてもせめて良い方に・・・。だから、俺は変わらなくてはいけない。
このままだと何も変えられない。変えるために、変わりたい。なあ、俺はどうすれば変われる?」

「どうすれば変われるって・・・、訊きたかったことってそれ?」

またエンティルは頷いた。

「このままじゃいけない、変わらないと・・・・・。でも、どうしたらいい?どうしたら変われる?
心を・・・心を得たらいいんだろうか。
今の俺みたいな欠けた心じゃなくて、ちゃんとした心を得たら、俺は変われるんだろうか」

はじめて見た深刻なエンティルにリナリーは悩んだ。

変わりたいと言っているエンティル。ちゃんとした心を得たいと。
だが正直リナリーにも、どうしたら彼が変われるのか、どうしたらちゃんとした心が得られるのかなど分らない。

「えっと・・・まず、今までしてなかったことをしてみるとか。新しいことに挑戦してみたら?」

「今までしなかったこと・・・新しいこと・・・」

「あともう少し人に優しくする。人付き合いを拒絶しない。
―――心ってなんだか温かいイメージがあるじゃい?きっと<優しさ>とか、<思いやり>とか、そういうものなのよ。
エンティルは、そんな心が無いわけじゃないわ。だってその主のこと、とても想っているもの。
その想いを・・・、少しだけでもいいから他の人にも向けてみたら?」


『アナタは、もう少し人と関わった方がいいよ。拒絶しないで。受け入れてくれる人は、必ずいるから・・・』


(そう言えば、あいつもそんなこと言ってたな・・・)

過去に自らの主に言われたセリフをエンティルは思い出した。

あいつは、いつか俺がこうなることを分っていたのだろうか?
きっと理解はしていなくても、なんとなくわかってはいたんだろう。
このままではいけないと―――。

「なるほど、参考になった」

リナリーの向かいに座っていたエンティルは立ち上がった。

「それ片付けておいてくれ」

「これ、食堂の?」

「ああ」

「あの、まさかとは思うけど、ジェリーにはことわったの?」

「いいや。紅茶もカップもあったのを黙って使った」

「怒られるよ?」

「なら言い返せばいい、性別を統一しろと」

「ふふっ・・・何それ、言い返すも何も、全然関係ない・・・」

訳の分らないエンティルの発言に、つい噴出してしまった。
片手で口元を押さえて、くすくすと笑うリナリー。

「お前は運がイイ。ありがたく思え、俺があいつ以外にお茶を入れたのは、お前がはじめてだ」

「・・・ほ、ほんとに?」

「ウソ吐いてどうする。お前は印象が良かったんだ、他の人間よりはマシだ」

そう素直にエンティルに言ってもらうと嬉しい。
なんだかテレてしまう。

「魔法のお茶は効く。雲は晴れたらしいな」

「あ・・・」

リナリーは先程まで自分が沈んでいたことを思い出した。
だが今となっては、どうでも良くなっていた。

お茶の力もあるかもしれないが、一番はエンティルの影響だと思う。

背を向けて歩き出すエンティル。

「エ、エンティルが入れたお茶・・・、ま、また飲みたいな」

どもりながらも恥ずかしそうにテレて、顔を赤くしながらリナリーは頼んでいた。

「気が向いたらな」

無表情で言い残すと、エンティルは談話室から去って行った。

彼が変われたらいい。今は無表情でも・・・。
いつか、いつか、私にも、あんな穏やかな優しさを向けてくれたらいい。

リナリーは祈るように、空になったカップを両手で包み込んだ。





* * * *






リナリー・リーは仲間と共に任務へと向かった。

任務の内容は、イノセンスの回収とアクマの破壊。

ファインダー(探索部隊)は25名。エクソシストは3名。

Lv2のアクマの数が多く危険な任務だった。


三日後。

司令室で書類にハンコを押していたコムイの背後に、気がつけばエンティルがいた。

「うわっ、もービックリするなぁ〜。
いったいどこから現れるんだいキミは?エンティルは気配無さ過ぎ」

「いくつかの魂が、冥界へと送られた」

「え?」

意味が分らずコムイが疑問に思うが、エンティルはそれだけ言うと司令室を出て行った。

だがしばらくして、コムイはエンティルのセリフの意味を理解する。

デスクの上の電話が鳴ることによって・・・。





任務へと向かったエクソシストのひとりから連絡が入った。

「・・・・・・・わかった。ご苦労様。すぐに帰還してくれ」

室長のコムイは電話の受話器を、静かに戻した。

「室長・・・・」

危険な任務に行った彼らからの連絡に、科学班も心配して司令室へと集まってる。
皆不安を顔に隠し切れずにいた。

「アクマの破壊、及びイノセンスの回収は完了したそうだ。だが被害が出た。
エクソシストが1名死亡。ファインダー(探索部隊)は25名中22名死亡・・・・・・」

科学班達は仲間の死に、辛そうに顔をそむけたり伏せたりした。

「あの・・・室長、リナリーちゃんは・・・?」

恐る恐る科学班のひとりが訊いた。

「リナリーは無事だよ。大したケガはないそうだ」

「そっか、良かった――・・・」

リナリーが無事で良かったと皆思っている、しかし素直に喜べない。
犠牲になった者達が居るのだから。

「・・・大したケガはない。だが心の方がかなり傷ついて、参っているようだよ・・・・・。
―――深手を負ったファインダー(探索部隊)を助けようとしたリナリーを庇って、エクソシストが死んだらしい・・・。
結局は助けようとしたファインダー(探索部隊)も、間に合わなかったようだ・・・・・・・」

うつむいたコムイの表情は、暗くなり良くは見えない。
科学班達も哀しみと辛さで言葉を無くしていった。

「さあ、彼らが帰ってくる。がんばってくれた仲間を迎える・・・準備をしよう」

皆は黙って頷いた。

エクソシスト1名死亡。ファインダー(探索部隊)22名死亡。
合計23名死亡。

生き残った5名が帰ってくる頃には、23名分の棺が用意せれていた。





司令室。

帰ってきたリナリーは参っていた。

口数も少なく、暗く深く沈んだ表情になっていた。

「リナリー大丈夫かい?何か飲む?」

コムイが心配してリナリーの肩を抱きながら気づかう。
リナリーは黙って首を横に振った。

「大丈夫か・・・?」

「そんなに・・・気に病むなよ・・・」

「・・・仕方なかったんだ」

そんな様子のリナリーを、それぞれが慰める。

「そうだよリナリー。皆がんばって、出来るだけのことはしたんだ。自分を責めないで」

優しく言い聞かせるコムイ。

「やあ諸君、この部屋は特に黒い雲が充満してるな」

司令室のドアから淡々と、雰囲気を読んでいないセリフと共にエンティルがやって来た。
一同は視線を彼に向ける。

リナリーも、ゆっくりと顔を上げて彼を見た。伏せがちだった目が大きく開く。

少し薄茶色の髪。
端麗な顔。
何も感じさせないが綺麗な金の眼。

彼女に虚ろに映っていた世界。しかしエンティルだけが印象強く、鮮明に映った。

エンティルはソファーに座っていたコムイとリナリーの前に立つ。

「発生素はお前か」

リナリーの様子を間近で確認し理解した。
理解して用は済んだため、エンティルはこの場を離れようとする。

離れようとしたエンティルの服を、力無くリナリーが掴んだ。

「・・・・・・・・・・」

「何だ?」

「エンティル・・・私・・・・・・・」

「お前への慰めの言葉なら、俺は持って無いぞ」

「わっ、私・・・そんなっ・・・そんなつもりじゃ・・・・・っ」

リナリーの目からポロポロと涙が溢れ落ちる。

自分の肩を抱いていたコムイの手を払い、リナリーは司令室を飛び出した。

「リナリー!!」

声を上げ呼び止めるコムイだが、届きはしなかった。

「くもりのち雨、か」

涙を流しながら走って行ったリナリーを見ながら、無表情で呟くエンティル。
彼をコムイは鋭い目で睨みつけた。

「リナリーは今、参ってる。ファインダーを助けようとして仲間を死なせてしまったことで、自分を責めているんだ。
そんな言い方は無いだろう」

「今度は雷か」

エンティルは溜息を吐いた。

彼がこう言った人物だということは知っている。
だが酷すぎる。
みんな感傷的になっていた。
彼らしいと言えば彼らしいのだが、リナリーを泣かせたことで、一同から怒りが湧き上がった。

「他の言い方なんかわからない。
だいたい、今アイツが必要としてるのは・・・ホントに慰めなのか?」

「なっ、何を・・・」

何かを言い返そうとしたコムイだが、エンティルは訊くことなく司令室を出て行った。

コムイもリーバーも、他の科学班達も、エンティルの背中をずっと睨んでいた。









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