第四夜 約束




黒い世界の中の白い世界。

月が昇る夜空の下、白い花畑で座り込み、顔を伏せて手で隠すようにしているあいつが居た。

漆黒の長い髪。白い肌。黒衣の服。

「泣かないで」

俺がそう言って近づけば、お前は手を離して<キレイ>な涙で濡れた顔を上げた。

紅い瞳。

「大丈夫だから、泣くな」

あいつの前まで来て肩膝をつき、視線を合わせる。

「大丈夫だよ。俺が必ず、お前を苦しみと悲しみから救ってみせる。護ってみせるから」

優しく、顔を緩めて言ってあげる。あいつが傷つかなように、壊れないように、注意して―――。

あいつは、じっ・・・と俺を見詰める。

『・・・・・・本当に?』

あいつは首を傾げて俺に尋ねた。

尋ねたと言っても声は出ていない。声を失い、出すことが出来ないからだ。
あいつの声は空気を振動して聴こえる音では無い。でも俺にはあいつの<声>が聴こえた。

あいつと俺は繋がっているから。

「必ず」


俺は断言した。
自信や根拠が有るわけじゃ無い。これは俺自身とあいつへの強い誓いだ。

お前を苦しみと悲しみの<根源>である『呪い』から救い、お前を護る。

それが何も無い俺が得た、存在意味・存在理由・存在の証。

『約束・・・?』

目の前の俺に手の平を向ける。

「ああ」

出された手の平に俺も自身の平を合わせた。

「約束するよ」

俺が合わせた手の平の指を絡めると、あいつも指を絡めた。

『約束だよ』

銀の涙が頬を伝ったまま、お前はにっこりと嬉しそうに笑った。

その時の、お前の顔と言葉が、忘れられず俺の思考の中心になった。



青年は懐かしい過去の夢から覚めた。

見たことのある部屋、ベットの上に横になっていた。
どうやら同じ医療室の部屋に戻され、寝かされたようだ。胸の包帯も取り代えられていた。

部屋の外にはドアを挟むかのように見張りが立っているのが気配で分る。
だがそんなこと、青年にはどうでも良いことだった。

遠い過去、夢の中で愛しい少女と合わせた手を、寝たままの自分の目の前にかざす。

「必ず、お前と交わしたあの時の約束は、果たしてみせる」

手の平を見詰めて――――。

「待っててくれ、・・・・・・」

揺ぎ無い誓いを呟き、目の前にかざした手を握り締めた。





第四夜 約束





司令室。

部屋の中には、コムイとブックマン、そしてリナリーが居た。

リナリーはソファーに座り、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握り締め、涙と恐怖を堪えながら、
青年の中で見たものを話した。

コムイもブックマンも真剣な顔で話しを訊いていた。

「信じられない話しではある・・・・・」

「だが、有り得ない話しでは無い」

話しが終わった後、そう言ったのはブックマン、続いてコムイが口を開いた。

「世界を護る為に、人間によって創られた<神>と言う名の<兵器>、か・・・。それなら謎が解ける。
―――どうして彼が、人間であるが人間では有り得ないほどの、こんなにも優れた遺伝子構成をしているのか・・・」

手に持っていた『堕天使分析結果』と書かれた資料を一瞥する。
リナリーの話しが、本当に存在した真実なら――――。

「彼は、『生体兵器』なんだ」

生きている兵器―――『生体兵器』

「しかし、昔の教団以外で、そんな実験をおこなっていた施設か研究所が有ったなんて・・・・・・」

「こんな世界だ。有っても可笑しくは無い。
私も裏歴史の記録者として、過去に実験をおこなっていた施設か研究所が有ったことは知っているが、
そんな<神>を創ると言う実験が成功したなどと言うのは知らんが・・・」

「当たり前だ」

「「「!!」」」

背後から聴こえてきた声に3人は振り返る。

「俺の存在は裏歴史からも消されているんだからな」
 (消されてなくても、次元が違う話しだがな)

ブックマンでも気がつかなかった。いつの間にそこに居たのか腕を組み、部屋のドアに寄り掛かっているは、例の青年だった。

「キミは・・・」

「ダメよ!寝ていないと・・・そのケガで動いちゃ!!」

何かを言おうとしたしたコムイより先に、青年にリナリーが立ち上がり声を上げた。

「痛みなんて感じない。何も感じない。それは俺の中に入り、お前もわかったんじゃないのか?」

青年が一歩踏み出すと、コムイはリナリーを庇うように自分の背の後ろにやった。
その行動を見た青年は首を傾げた。

「もしかして、また俺がソイツを取り込むとでも思ってるのか?それだったら無いぞ。
アレはイノセンスが勝手にやったことで、俺のせいじゃない。俺は生物は取り込まない」

「イノセンスが・・・?」

「イノセンスだ。まだ慣れてないから俺自身、力が不安定になってる」

「見張りが居たハズだ。見張りの者はどうした?」

ブックマンがコムイ達の前に出て、青年を睨みながら尋ねた。

「部屋を出ようとしたら邪魔してきたんで、黙らした

その頃、青年の部屋の前では2人の探索部隊(ファインダー)が、互いの頭をぶつけられた状態のまま、
白目を向いて気絶していたそうだ。

「キミにはイロイロと聞きたいことがある」

質問しだすコムイ。

「まず、リナリーがキミの中で見たのものは、本当に存在した真実かい?」

「ああ。俺はお前達人間の都合のイイ<神>と言う手前で、勝手な人間の傲慢で創られた<兵器>。『生体兵器』だ」

「そんなっ、兵器だなんて・・・!!」

「リナリー!?」

コムイを押しのけ、リナリーは彼に詰め寄った。

「自分で、兵器だなんて言わないでっ!あなたは人間じゃない!!」

「見た目は、だろ。ま、基本的に遺伝子構成と、身体構造的には人間と変わりは無いが」

「だったら・・・っ!!」

「それだけだ。それだけで後は、俺は人間じゃない。
頭脳も身体能力も人間とは格が違う。俺は人間に無い、多数の特殊能力も持っている」

青年は淡々と言いながら、何も感じない、感じさせない眼でリナリーを見据える。

「俺は人間じゃない。言うならば<元>人間だ」

「そんな・・・・・・」

リナリーは青年の断言にも近いセリフに、今更ながら愕然とした。

「裏歴史から消された、っと言うのは?」

表には出ない<裏>の歴史を記録する者として、ブックマンにはココは欠かせない質問だった。

「俺が<完成>した時までしか知らないんだな。俺はあの後すぐに―――封印されんだよ

3人は目を見開く。特にリナリーは。

青年は平然と淡々と、話しだした。

自分達の命令を忠実に訊く為に消した<心>。

だが実際に<心>を消したことで、どういう訳か俺だけが不安定なり制御出来なくなった。
不安定になれば暴走する可能性が有った。

息を呑むコムイ。

「神の如き力を持った者が暴走なんてすれば・・・、世界は滅ぶ・・・」

故に《終焉者》と名付けられ、俺は封印された。

世界を護る為とか言いながら、世界を終焉するかもしれない存在を創ってしまった。
結局、無かったことにしたのさ。実験も、俺の<存在>も、何もかも

俺は奇跡的に自我を取り戻し、封印を自力で解いた。
完全ではない、欠けているが心も取り戻した。

極秘中の極秘で進められたであろう実験。

「そして研究者、科学者、技術者達は罰を受けた。自らの手で神を創ろうとした罰を」

「―――その者達は、どうなったんだ・・・?」

「あの世逝きだ。もちろん地獄だがな」

だから、裏歴史にすら出ることは無かった。

「お前達からしたら、ずいぶん昔のコトだしな。俺がココまでくるのにも軽く100年掛かったし」

「「「100年!!?」」

軽く青年がとんでもない年数を言った。

「ひゃ、100年って・・・。つまりキミは、自分は100年生きてるって言うのかい・・・?」

「いいや、正確には軽く1000年越えてる」

「「「1000年!!?!?」」」

「言っただろう、俺は人間じゃない。人間が持たない多数の特殊能力を持ってると。
―――俺は『不老不死』だ」

自分達の目の前に居る青年は不老不死で、1000年以上生きていると言うのだ。
信じられない。どう見ても18・19ぐらいだ。

「直接、魂を消滅させない限り俺は死なない。だから俺を創った人間どもは俺を削除出来ず、封印した。
俺を殺すことが出来る存在が居るのとしたら神だ

不老不死だから死なない、成長しない。その為、成長の変わりに有るのが進化だ。

俺の持つ特殊能力のひとつ。
情報や経験、エネルギーなどを内に取り込み己を進化させる。
それで俺は強くなっていける。イノセンスも今の俺には必要な力だから取り込んだ。

ついでに身体は魂を入れるだけの器に過ぎない。
存在を表すモノであって大して俺には重要じゃない。

本来ならケガも跡形無く、すぐに直すことも出来るんだが・・・。
今はイノセンスに慣れるので、俺自身の力が不安定になって身体が上手く治せない。

だが所詮、怪我をしたところで、どうってことはないのだと彼は言う。

「もういいだろう?それじゃあな、あばよ」

「待つんだ」

背を向けて軽く片手を上げて去ろうとする青年を、コムイが呼び止めた。

「キミの中にはイノセンスがある。取り込んだと言っていたけど、キミは適合者と言うことか?」

「違う。俺は適合者じゃない」

「なら何故、・・・キミは咎落ちにならない?」

―――――――咎落ち・・・・・。

リナリーの顔が青くなり、体は強張った。

不適合者がイノセンスと無理やりシンクロすれば、使徒のなり損ない―――咎落ちになる。
彼女も実際に一度、その光景を見たことがあった。

「俺とイノセンスは同じで、似てると思わないか?」

神の力を持った存在。世界を護る為の兵器。

「同じであって同じではない。似ていて似ていない。だからこそ、とても近い」

人間によって、<神>となるべきが《終焉者》と呼ばれた存在。

<神>と《終焉者》。白と黒。
イノセンスとダークマターを一つに併せたと言ってもいい。

「だから俺は己の内にイノセンスを取り込むことが出来る。
イノセンスの波長を変え、エネルギーとして力を使っている」

「・・・あなたは<無>なのね」

リナリーが青年を哀しそうに見て言った。

「白でもなく、黒でもない。どちらにも寄らない、色には染まらない。何色でもない、あなたは<無>

「そうだな。そう思うなら、そうなんだろう。同情するなら邪魔するな」

今度こそ、っと青年は軽く片手を上げ去ろうとする。

「ま、待って!行かないで!!私達の仲間になって!お願い!!」

「仲間?冗談じゃない。俺は人間が嫌いなんだ」

「それは・・・無理もないと思う、あんな目に遭わされたら・・・。でも!ココではそんなこと、もうしないわ!!
そんなこと絶対させないから!!!」

「・・・・・・違う」

「え?」

必死で青年を止めようとするリナリー。
同情はしている。でもソレだけではない感情がリナリーには有った。

もう酷いことはさせないと言う彼女に、青年は呟くように返した。

「そもそも俺には創られた時の記憶と言うより、記録で残っているんだ。
実際に何かされたと言う実感は全然完全に無い。俺が人間が嫌いなのは出生のことじゃない」

「なら何故人間を嫌う?」

ブックマンの問いかけに、青年の眼には怒りと憎しみ、殺意に宿った。
何も感じさせない眼は、―――狂気の眼に変わった。

「人間はいつだって・・・俺の大切なものを傷つけ、俺から大切なものを奪う」

そして哀しみと孤独に金の瞳が揺れた。

「人間が嫌いでも、キミにはここに居てもらわなくては困る。
約百年前、千年伯爵のことを予言するキューブ(石箱)が発見された。
・・・それに記されていた予言の一つに、こんなものがあるんだ」


我々では出会えることが出来なかった『力』、希望の『白き翼』と絶望の『黒き翼』を得よ。

『白き翼』を得れば汝らに希望の与え、『黒き翼』を得れば敵に絶望を与える。

汝らが『白き翼』と『黒き翼』の両翼を得た時、終焉を真の終止へと導けるだろう。



「ヘブラスカとも話した結果、この『黒き翼』とはキミのことではないか・・・、と思ってるんだよ。
堕天使くん」

(古代人め・・・余計な遺言残しやがって・・・・・)

コムイからの話しを訊いた青年は、内心舌打ちをした。

「大元師もキミにはここに居て欲しいと言っていた。キミは黒の教団に・・・戦争に勝つ為に必要なんだ」

「俺にはそんな時間は無い。俺にはすべきことがあるんだ」

「すべきこと?キミは何をしようとしているんだい?」

「―――――約束」

「約束?」

呟く青年に、リナリーは首を傾げて訊きなおした。

「約束した、約束したんだ。俺には果たさなくてはいけない約束がある」

「・・・そんなに、大切な約束なのか?」

「その為なら、俺は真の《悪魔》にも《魔王》にもなる。
どんなことをしても、俺自身がどんなに罪で穢れ、血で汚れても・・・・・」


―――罪で穢れ、血で汚れても・・・・・。

その言葉にリナリーは反応した。
彼には、絶対にそんな風になって欲しくない。そんなことを言って欲しくない。

そんな・・・、そんな覚悟は・・・辛い・・・・・。

「俺は、必ず約束を果たさなければいけないんだ」

リナリー、コムイ、ブックマンは青年のあまりにも強い誓いの威圧に圧倒された。

あんなにも無を感じさせる彼が、ここまで強い執着を見せるとは思いもしなかった。
彼にとっては、それだけ大切なのだろう。

「・・・キミの気持ちはわかった。しかしせめて、その傷が完治するまででも留まって、考えてみてくれないか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「兄さん・・・」

考え込むように無言の青年。

リナリーは感涙でもしそうな顔でコムイに寄った。
兄に感謝したのだ。どんな理由であれ、青年を引き止めてくれたことが、今は嬉しかったから。

「教団内はある程度自由にして構わない。ただし監視役を常に付けることにあるけどね」

青年に、そしてリナリーに納得してもらえるように言った。
そのコムイとリナリーの姿が、兄と妹に見えた。

兄と妹、血の繋がった兄妹の姿が・・・・・。
義兄と義妹、血の繋がらない義兄妹だと言われた・・・自分と彼女の姿と重なった。

「お前ら、兄妹か?」

「え?そうだよ。ああ、自己紹介していなかったね。ボクは室長のコムイ・リーだ」

「妹のリナリー・リーよ。室長助手兼エクソシストをしているわ」

「私は<ブックマン>と呼ばれる相の者・・・名はない、ブックマンと呼んでくれ」

「そうか、わかった。メガネに助手にジジィ

(((何をわかった!?自己紹介の意味がない・・・!!)))

3人は心の中でツッコミ叫んだ。

「そ、それであなたの名前は・・・?」

「言いたくない」

「え?」

「言いたくない」

青年の名前をリナリーが尋ねるのだが、彼は答えない。それは困る。

「どうして言いたくないの?」

「言いたくないから」

「だから理由を・・・」

「俺の名を呼んでいいのは、あいつだけだ。他の奴に呼ばれたくない。だから言いたくない」

なんとか食い下がろうとするリナリーだが、彼の無表情の淡々としたで独特のペースに流されてしまう。

「じゃあ、キミをなんて呼べばいいんだい?」

コムイが助け舟を出す。

「・・・・・・エンティル」

「え?エン・・・?」

「俺の識別するなら<エンティル>、っとでも呼んでくれ」

「エンティル・・・」

彼の名を忘れず心に刻むように、リナリーは呟いた。

「それは主の名でないのか?」

「俺の戒めの名だ。もう一つの名」

「戒めの・・・名・・・?」

不思議そうに、少々不安そうに青年を見るリナリー。

戒めの名――――。
それはどういう意味なのだろうか。戒めとは・・・・・・。

そんなことを考えていたら、エンティルはドアに向かって歩き出した。

「待って!どうしても・・・どうしても行っちゃうの!?

「ある程度なら教団内を自由にして構わないだろ?」

「え・・・?それって・・・」

「イノセンスが慣れるまでなら、教団に留まってもいい。いい機会だからイロイロと中を見て回りたいしな」
 (あいつがしばらく生活することになる場所だ。下見しといた方がいいだろうし・・・)

顔だけ振り返り伝えると、エンティルはスタスタと歩いて司令室から出て行こうとした。

リナリーに嬉しさが込み上げる。
今後どうなるかは分らないが、これで今はエンティルと別れなくてすむのだ。
それが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

「だったら私が教団を案内するわ!」

「リナリー待つんだ、その前に監視役を彼に付けないと・・・」

「兄さん、私がエンティルの監視役になる!」

「でもリナリーは彼に一度取り込まれてるから、心配・・・」

「大丈夫よ!今度はあんなことにはならないから!」

「で、でも今までの彼の行動から何をしでかすか・・・」

「いざとなったらダークブーツ(黒い靴)を使うわ!」

心配するコムイをよそに、リナリーはエンティルの後を急いで追った。

先程とは様子がガラリと変わったリナリー。
いつものように明るく、いつもよりイキイキと咲き誇っている花のようだ。

「リナ嬢のあの様子、これは・・・大変なことかもしれんな」

「え!?ブックマン・・・それはどういう意味でしょう?」

「い、いいや、気にするな」

リナリーの気持ちに気づいたのだろう。
コムイのシスコンぶりを知っているブックマンは慌てて誤魔化した。
錯乱でもされてマシンガンでも撃ちまくられたら大変だ。

これから起こるであろう騒動を予想できそうで、ブックマンは頭が痛くなりそうだった。

一つだけ、リナリーが・・・人間であった兵器に恋心を抱いたことを、哀れに思った。

―――――――きっとそれは、哀しいものになるだろうから。








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