第三夜 無




コムイが持っている『堕天使分析結果』。
ソレに記されいるのは、ありえないハズの事実だった。

―――分析が、彼を現したのは・・・・・。

人間であって、人間ではありえない遺伝子構成だった。

すべてにおいて最も良く、最も優れた遺伝子構成。

何が不得意だとか、何が弱いとかと言う、人間が遺伝子の中に一つは持つべき欠点が無いのだ。

完璧に創られた存在。まるで神の如く。

まさに彼は理想の人間の姿と言えるだろう。

人間が最高の進化をした人間。
ソレが彼だ。

さらに彼のから出たイノセンス反応は、三つ・・・。
彼は己の中にイノセンスを三つ所有していることになる。三つのイノセンスを寄生させてることになる。

イノセンスは使い手をひとりだけ選ぶ。故に適合者。

―――なら何故、彼の中から三つものイノセンスの反応があるのか・・・・・。

こんな分析では彼を完全に現すことなど、出来ていなかったということだ。

謎だ。

だが・・・、忘れてはいけない。

―――そう、彼が・・・・・・。

天使であったが、堕ちてしまい天使ではなくなった・・・。

堕天使だと言うことに・・・・―――――。





第三夜 無





ざわざわ・・・――――。ざわめきが起こる。

上半身は服を着てなく、頭と胸には包帯が巻かれ、裸足で廊下を歩くひとりの青年。
人目を引いているのを気にすることなく、青年は馬車で通れそうな教団の廊下を黙々と歩く。

周りの団員達の中のひとり、白い服を着ていることから探索部隊(ファインダー)だろう。

「お、おい・・・おまえ・・・・・」

異様な青年に、勇気を出して声をかけた。

そんな声など聴こえないかのように、青年は完全無視で歩き進んでいく。

「おい、待てよ・・・」

ファインダーが後ろから青年の肩を掴んだ。

刹那――、振り返ることなく肩を掴んだファインダーを片手で軽々と投げ飛ばした。
ファインダーは壁が壊れるぐらい叩きつけられ、気を失ってしまった。

周りの人々は息を飲む。

それでもやはり青年は、まるで何も無かったかのように表情一つ変えず黙々と歩き続ける。

教団内だ、さすがにこの様子を見たら止めなくてはいけない、この不審な青年を。

「おい!止まれ!!」

仲間がイキナリやられた怒りもあり、他の探索部隊(ファインダー)の数名が青年を止めようとする。
だが、止めようと彼の前に出たり掴みかかったりすると、細身の優男とは思えないほどの怪力で
探索部隊(ファインダー)達を片手で投げ飛ばしていった。

止める為に近づきたくても近づけない。

探索部隊(ファインダー)では太刀打ちできないと判断した周りの団員達は、誰かエクソシストでも呼んでこようかとした。

「あれ?キミ、目が覚めたのかい!?しかも動いてるなんて・・・・・」

目の前に現れた人物に青年は、そこでやっと足を止めた。

科学班室長のコムイ・リーだ。

「ど、どうしたんだ!?コレはいったい・・・!?」

コムイが驚くのも無理はない。

青年が歩いた後は、破壊された壁と床、気絶した探索部隊(ファインダー)が転々としていたのだ。

「・・・コレは、キミがやったのかい?」

「警告しとく。俺の邪魔をするなら排除する」

肯定だ。

淡々とした口調で青年はコムイに告げた。

「待ってくれ、落ち着いて話しをしよう。目が覚めたらこんな所にいて、混乱してるだろう?」

「混乱しているのはお前じゃないのか?」

――――鋭い。

表には現さないにしろ、内心は微かながら混乱していたコムイ。
目が覚めても動けないと思っていた青年が、破壊活動をおこないながら怪我など差し支えなく歩いているだから。
しかも、先程出た分析結果のこともなる・・・。

「とにかく落ち着いて・・・」

「俺が落ち着いてないように見えるか?」

淡々とした口調。変わらない無表情。
充分に落ち着いている。落ち着きを通り越して冷静だ。

「キミの名前は?」

「知る必要は無い。俺は此処を出て行くんだからな」

「悪いがキミを帰す訳にはいかない。キミは適合者、エクソシストなんだ。それについて詳しく説明を・・・」

「適合者?エクソシスト?俺が?笑わせるな」

嘲けるように鼻で笑う青年。
無表情の青年が初めて表情を見せた。冷たい笑み。

「―――――なんにしても、その身体で動いちゃダメだ。傷が開くし痛むだろう?」

「痛みなんて感じない」

無表情で言い切る。

「感じないって・・・」

「<傷が痛い>ってこと、俺にはわからないんだからな」

「わからないって・・・キミは・・・・・・」

言いかけたコムイの言葉を訊き終えず、青年は歩き出そうとする。

「ま、待つんだ!」

青年の前を立ち阻むコムイ。

自分を止めようとするコムイの行動が気に入らない。
否、コムイ自身が気に入らない。

・・・何故ならコイツが科学者だから。

―――邪魔をするなら排除する――――。

胸元を掴み上げ、自分より背の高いコムイを軽々と片手で持ち上げた。

「・・・・・つ!!」

探索部隊(ファインダー)同様に投げつけようとするのだろう。青年の眼に、情けは無かった。

「ダメっ!!!」

とっさの少女の叫び声。

「やめて・・・!」

ツインテールを揺らし、コムイを掴み上げる青年の腕に少女が跳びついた。
それに青年の手が緩み、落ちて床に尻餅をつくコムイ。

動ずることなく、青年は少女を無表情で見下ろす。
少女と青年の眼が合った・・・―――――。

「!?」

瞬間、異変が青年の身に起きた。

「・・・・・・え?」

少女・リナリーにも。

リナリーの身体が、スゥっと透けて青年の身体の中に入ってくのだ。
イノセンスが青年の身体の中に入って行った時に似ていた。

「リナリー!!!!」

その光景にコムイが叫び声を上げ、リナリーに手を伸ばすが、彼女は青年の中へと消えていった。

「くっ、ぁ・・・この、イノセンスめ・・・・・」

青年の何も感じない眼に、顔に、苦痛が宿る。

苦痛をぶつけるかのように、腕を振り上げ握り締めた拳を近くの壁に叩きつけた。
人が通れるほどの大穴を開けて壁は破壊される。

穴の中に青年が入ると、更に奥の壁を破壊する音が聴こえた。

「ダメだ!!待てっ!!!」

後を追い、他の者とコムイが穴の中に入ると、外へと続く破壊された壁の穴から青年が飛び降りる姿が見えた。

この場所は塔の上階だ。
こんな所から飛び降りれば、普通ならまず間違いなく即死だ。

開けられた穴から下に身を乗り出しすコムイ。

下にある森へと、青年が落ちていく姿が見えた。どんどん小さくなって行く。
姿が見えなくなるほど小さくなると、森から青黒い光が放たれた。

コムイは光の眩しさに目を細めた。
すぐに光は止んでしまうと、再度下を確認した。

ココからでは良く分らないが、何も変わった様子が無く森だけがあった。

「後を追うんだ!!念の為、医療班にも知らせてっ!!!早く!!!!」

叫びながらコムイが指示をだす。
周りにいた団員達が血相を変えて動き始めた。

(リナリー・・・っ)

下の森を睨むように一瞥すると、自分も森に向かうとする。

大切な妹の身に何が起きたのかハッキリとは分らない。
だが、只事ではないのは確かだ。

目の前でリナリーが青年の中へ、消えるように入っていってしまった。
何としても救い出さなくてはいけない。

リナリーの無事を祈りつつ、コムイは下の森へと急いだ。





* * * *





<彼>の中で私が見たのは・・・・・。

残酷で、非道で、酷過ぎる・・・、辛く、あまりにも悲しい・・・、これは・・・彼の過去。

・・・そこでは、人間は悪魔以外の何者でもなかった

何処かの研究所か施設。

・・・そこの人間達が、おこなっていた実験・・・・・。

子供から二十歳前ぐらいの、病人着のような服を着た人々が、何かの薬を撃たれたり何かの機械にかけられたりして、
悲痛の断末魔を声がかれるほどに叫び上げていた。

やめて!!

耐え切れずに死んでいく者が沢山いた。

なんとか生き残った人々は次に、生き残った仲間達で殺し合いをさせられた。
逆らったら殺される。

こ、こんなのっ・・・!!やめて!!!やめて!!!!

皆、死にたくなかった。だから相手を殺した。仲間と言える、同じ境遇者を。
殺さなくては、殺される。

だから殺した。必死になって<仲間>を殺した。

お願いっ!!やめてっ!!!!

殺して、殺して、最後の数名に人材が絞り込まれた。

だが、殺し合いの終わりはその者達にとって、<生>ではなかった。

これらのことは全部、材料を選ぶ為の実験。

生き残った者達に待つのは、その者達の<死>だった。

もうやめてっ!!!お願いだからっ・・・やめてっ・・・!!!!

すべては世界の為だと、彼らは言う。この行為を世界の為だと―――。

彼らの目的は、世界を護る<神>を人間の手で創りあげること。
世界を護る<神>と言う名の<兵器>を――――。

選ばれた者達は、創りあげる為の<材料>となっていった。

やめて!!!やめて!!!お願い!!お願いだからっ!!!!もうっ、もうやめて!!!!!

感情。それは彼らが求めた<神>には必要なかった。

ただ命令を訊き。ただ遂行する。

だから、最後に邪魔だった・・・自我を消して・・・・・・。

やめてぇぇぇええぇぇえぇぇぇえぇぇぇぇ!!!!!

こうして<神>と呼ばれる<兵器>、<彼>は完成した。

そして<彼>は何もかも失った。

――――<彼>は<無>になった・・・・・―――。


真っ暗な闇に覆われる。

『・・・どうなったの・・・・・?』

涙を流しながら不安そうに周りを見渡すリナリーの前に、闇の中から姿を現したのは、<彼>だった。

彼の服装は、リナリーが初めて会った時の物。怪我はしていない。

この彼はきっと、彼の中の彼なのだとリナリーは思った。

『ココから先には行かせない』

少し睨む、と言うより少し威嚇するような眼で彼はリナリーを見据える。

『私は・・・・・』

『俺の中に自由に入って来ていいのは、あいつだけだ』

『<あいつ>?<あいつ>って誰・・・』

『俺の中から出て行け』

向けられた拒絶の言葉。

リナリーの視界は途絶えた。



気づけばリナリーは教団の森に倒れていた。

涙を流しながら気を失っていたリナリーは、目を開けた。
ダルイ身体を起こし、座り込む。

活動しやすいように結われていたツインテールは解けていた。

「どうして・・・どうしてっ、そんなことが出来るの!!?そんなことが許されるの!!!?」

地面に爪を立てて叫ぶリナリーの目から、涙が零れ落ちる。

はっ、と青年を思い出し顔を上げた。

周りを見渡せば、青年は仰向けに倒れていた。
リナリーは慌てて青年の側に寄る。

気絶していた。傷口が開いたのだろう、胸に巻かれた包帯には血が滲み出ていた。

「大丈夫!?しっかりして!!」

青年の頭を少し起こし、膝に置く。
哀しそうにリナリーは彼を見詰めた。

(かわいそうな人・・・・・)

再び溢れ出そうになる涙を堪えながら、彼の薄茶色の髪を撫でた。

「あなたは、あなたはあんな風に、創られた人なのね・・・・。何もかも失って、奪われて・・・・・。
自分すらも・・・・・・」

これで判った。
何故この青年が、何も感じず、何も感じさせない眼をしているのか。

心が無いから――――。

「違う。この人には心がある」

創られたばかりの彼は、本物の人形か機械のようだった。
アレが心が無い状態。

でも今の彼は、確かに無表情でも人間に思えた。思える表情はあった。
―――彼は、心を取り戻している。

「リナリーっ!!」

自分を呼ぶ兄の声にリナリーは振り返る。
塔の方からコムイと、探索部隊(ファインダー)達や医療班の団員達が駆け寄って来た。

「良かった!無事だったのか!!一時はどうなることかと思った・・・」

「・・・兄さん」

心底心配していたのだろう。張り詰めていた糸が切れたかのように安堵の顔をした。

「彼は・・・、気絶しているのか?なら今のうちに彼を捕まえてくれ」

青年が気絶しているのを確認すると、コムイは自分の後ろにいる団員達に指示だした。

「捕まえる!?兄さん、捕まえるってどういう意味!!?彼をどうするの!!?」

コムイのセリフに、彼の中で見たモノを思い出し取り乱し、錯乱しだす。

「リナリー・・・。彼には謎が多い。今のことでは、危険だと判断される。気絶しているうちに彼を・・・」

「やめてっ!!!」

言葉を遮り、声を上げた。

「リナリー・・・?」

青年の頭を膝を乗せた状態で、庇うように自分の身体を彼の上に被せる。

「やめてっ!!!彼に何もしないで!!!もう何もっ、何も彼から奪わないで!!!!」

リナリーは彼を強く抱きしめ、涙を流し叫んだ。

ア然として、コムイや団員達はそれを見てるしかなかった。
状況がまったく理解できない。

うっ・・・、っと微かに呻く声が聴こえたのに気がついた。

「大丈夫!?気がついたのね!」

青年から身体を離すリナリー。
すると青年がゆっくりと金の眼を開けた。

虚ろな青年の視界に入ってきたのは、涙を流しながら心配そうに
自分の顔を見下ろしているリナリー・・・なのだが・・・・・。
・・・彼にはリナリーなど見えてはいなかった。

長い漆黒の髪、紅い瞳、白い肌、の女―――。

・・・・・・・

彼にはリナリーが、ずっとずっと逢いたかった、自分が愛して止まない大切な女に見えた。

「え・・・?」

そのあまりの小さな囁きは、リナリーには聴き取れなかった。

あぁ、また泣かしてしまった。
ホントは泣かせたくなんか無いのに。泣かせてしまった。
いつだってそうだ。
泣かせたくないのに泣かせてしまう。傷つけたくないのに傷つけてしまう。

・・・・・護りたいのに、その場だけで、最後の最後には・・・護れない。

それが唯一、俺にとっての<悔しさ>と言うもの。

俺にが無いから。
俺に欠けていないちゃんとしたが有ったなら、もう少し泣かせずに傷つけずに済んだかもしれない。

彼は女に手を伸ばした。

「ごめん、泣かないで・・・・・・」

リナリーの頬に、否、大切な女の頬にそっと手を添えた。

「心配しないでいいよ、俺は大丈夫だから・・・。少し寝たら回復するから・・・だから、泣かなくてもいいよ・・・・・」

先程までの無表情で淡々とした口調とは違う、穏やかな微笑みと優しい口調だった

「・・・っ」

驚きと共に得体の知れない何かがリナリーの中に走り渡った。
体が熱い。

「悲しい思いをさせて、ごめん・・・・・―――」

力無く、添えられていた青年の手は重力のまま落ちた。
彼は・・・そのまま眠ってしまった。

「・・・・・・兄さん」

振り返ることなくコムイに声をかけた。

「約束して。彼に、治療以外の何もしないって、約束して。じゃないと、私は彼を渡さないわ」

背を向けたまま、リナリーが言う。

「リナリー・・・どうして・・・・・」

危険な目に遭わされてまで、どうしてこの青年を庇おうとするのか。
コムイには判らなかった。

「私・・・見たの、彼の中で、彼の過去を。本当に、本当にかわいそうな人なの。
――――彼は、酷い目に遭わされて、狂ってしまいそうな生き地獄の中に居た・・・・・」

こちらを向こうとしない為、リナリーの表情は見えない。

「だからお願い。もう彼には何もしないであげて。もう彼から何も奪わないで」

「・・・・・・・・・・・・」

少し考え込むコムイ。

「わかったよ、リナリー。ただし監視はつける。・・・それから、彼の中で見たことも話してもらうよ。いいね?」

リナリーは黙って頷いた。

団員達が近づくとリナリーは顔を伏せた。
青年を運んで団員達が離れると、彼が触れた頬を手で押さえた後、もう片方の頬も顔を隠すように手で押さえる。

顔が熱い。
鼓動が早い。

無表情だった青年の、あの穏やかな優しい微笑がリナリーの頭に焼きついて離れなかった。








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