第二夜 夢と現実




それは黒の中の白い世界だった。

黒の中の白い世界が目の前に広がっている。

そうだ、此処は<あいつ>が好きだった場所。

黒いのは空。白いのは地面。

夜空に浮かぶ月や星が照らす地面は、白い花畑だった。

そう、此処が<あいつ>の好きだった場所。

月に、月に照らされて鮮明に映る、白い花畑。

コレを幻想的だと言う。コレを美しいと言う。
俺には良く分らないが、<あいつ>がそう言うから、そうなんだろう。

ふと気がつくと白の中に一つ黒がある。

花畑の真ん中に、ひとりの少女が力なく座り込んでいた。

漆黒の長い髪。
白い肌。
紅い瞳。
黒衣の服。

それは<あいつ>。俺が良く知る、愛しい愛しい・・・愛すべき者。

!!

名を叫んだが声になることはなく、<あいつ>には届かなかった。

黒衣のロングスカートが白い花の中に沈んでいる為に、冴えて見える。

閉じられた紅い瞳からは、大粒の銀の雫が溢れ落ちていた。
覆うように顔を押さえて、止まることなく涙を流し泣く。

お前は何が悲しいんだ?何が苦しいんだ?何が辛いんだ?

ボロボロと落ちる涙は、<キレイ>だと俺は思った。
その分、あまりにも泣く姿は痛々しい。

俺という存在は何にも感じないハズなのに。―――苦しい。辛い。痛い――――。
お前の、そんな姿を見るのだけは・・・。

可哀想に。とても可哀想に。酷く可哀想だ。

!!!!!!!

必死に叫ぶが、声は発していても音になって聴こえることはなかった。

今すぐ駆け寄って抱きしめたい。強く、だが壊れないように。
抱きしめて「大丈夫だよ。俺が側にいる。俺が護るから、だから泣かないで」そう優しい顔で言ってやりたい。
言って安堵させてあげたい。

<優しい顔>なんて出来ない俺だが、<あいつ>の為なら、<あいつ>のことを想うなら不思議と、
自然に<優しい顔>になっている。

俺は<あいつ>が大好きだから。

駆け寄りたくても駆け寄れない。手を伸ばそうとしても伸ばせない。

誰がお前を悲しませた。
誰がお前を傷つけた。
誰がお前を泣かした。
誰がお前をソコまで追い込んだ。

許さない。許せない。


――――この光景には見覚えがある。

まさか・・・・・・。

まさか・・・またなのか?
まさか、またあの時と同じことが起きるのか?起きるという意味なのか?

ダメだ!それだけはダメだ!!

あの時、お前は壊れてしまった。

あの時のお前は泣いてばかりいた。
良く俺にすがり泣いていた。

原因は人間だ。
人間が皆悪い。人間が<あいつ>を傷つけた。
命を掛けて世界の為に戦ってきた<あいつ>を、人間が裏切った。

可哀想に、お前は人間への恐怖から声を出すことが出来なくなった。
唯一の救いは、お前が歌を唄う時だけ声が出るということ。

食事も取らず、夜は不安に駆られひとりでは眠ることも出来なくなった。
笑わなくなった。いつも憂いに満ち溢れた表情。

身も心もボロボロになって、酷く脆く儚く、少しでも扱い方を間違えたら、崩れ壊れてしまうかのようだ。

笑みを見せたとしても、ホントに弱弱しく微かなもの。

護らないと。俺がお前を護らないと。
護る。俺がお前を護る。
何が有っても。何を犠牲にしても。誰を殺しても。

お前が立ち直るまで何年もかかった。
俺はずっとお前の側にいた。お前の側でお前の介護や世話をしてきた。

それでも傷は残り、今でも癒えきっていない。
壊れたものは、完全には治りきることなど出来ない。例えそれが心でも。
特に<あいつ>の心は繊細だから。

護る。必ず護る。絶対護る。

その為に俺は全てを犠牲にしよう。
一度は何もかも失った俺だ、恐れはしない。お前を失ってしまう方が怖い。

俺自身も、俺の魂もどうなっても良い。消えても良い。
もう二度と戻れなくても良い。

決して、あの時の二の舞だけは起こしてはならない。何が有っても。
あの時ような、お前を<悲劇>の姿にだけは・・・・――。

―――阻止しなくてはならない。どんな手段を使っても――――。






第二夜 夢と現実





科学班。

此処では、前線で戦うのとはまた別の、誰かさんが溜まりに溜めた自業自得の戦いが起きていた。

その誰かさんは逃亡を試みるのだが、運悪くリーバーに見つかってしまったのだった。

仕事中、ずっと「リナリー、リナリー、可愛いリナリー、ボクのリナリー」とブツブツ呟き、
お兄ちゃんは淋しいよぉ〜っと泣いていた。

ハッキリ言って、もう危ない人だ。いや、元から危ない人か。

ジリリリリリリ

電話が鳴り、机の上に山となっていた書類と戦っていたコムイが出る。

「ううぅ・・・、はい・・・コムイ、です・・・うぅ・・・」

「室長!リナリーが任務でいないからって泣かないでください!!」

泣いている暇があるなら仕事しろと、リーバーが奥の方で一喝しているのが聴こえる。

『兄さん!』

「リナリー!?」

受話器の向こうから聴こえてきた声は、紛れもない可愛い妹の声。
訊きたかったリナリーの声を漏らさぬよう、受話器を持ち直し、耳を傾ける。

『兄さん!助けてっ!』

必死に助けを請うリナリーの声。

リナリーの身に何かあったのか!?
コムイは動揺を見せる。

「どうしたんだい!?リナリー!」

『任務で出会った人が死にそうなの!!村の病院じゃ助からない!
今から教団に連れて行くから医療班を待機させて!お願いっ!!』

リナリーのお願い。
だが、事情を訊いたコムイの表情は厳しかった。

「任務で?任務の場所は無人の荒野だったはずだよ?どうしてそんな所に人が?」

『突然現れて、彼はイノセンスを拾い上げたの!そしたらイノセンスが、彼の身体の中に入って・・・」

「イノセンスが?本当かいリナリー?」

『うん!その後アクマの集団が現れると、彼の背中からダークブルーの翼が出て、
まるで堕天使みたいで、黒い雷を操ってアクマの集団を全滅させのよ!彼はアクマを破壊して私を助けてくれたの!!』

だから―――。

『だからお願い!!!彼を助けてっ!!!!』

無我夢中で助けを求め、泣き叫ぶリナリーの声が受話器から痛いほど聴こえた。

コムイは真剣に話を受け止めていた。

「イノセンスが彼の中に・・・。もしかしたら彼は適合者で、イノセンスが寄生したのかもしれない。
わかったよ、リナリー。彼を黒の教団へ!」

『ありがとう兄さん!』

プツ

用件が終わると、電話は素早く切られた。

切られた速さに、少々淋しさを感じるコムイだが、あのリナリーの様子にそんなことは言ってられない。

「リーバーくん、すぐに医療班を待機させて。新たに発見したエクソシストを死なせる訳にはいかないからね。
―――怪我をした入団者だ」

「コムイ室長はどこに?」

リーバーに医療班の手配を頼み、ドアに向かうコムイ。

「ちょっと、ヘブラスカの所にね」

振り返りコムイが見せた笑みには、希望が含まれていた。





* * * *





イノセンスを体内に取り込んだ青年が、リナリーにより黒の教団に保護されて3日が経った。

教団に着くと、待機していた医療班の団員により、整った設備での治療がおこなわれた。
治療を受けた青年は、普通の者より断然早いペースで傷は癒えていった。
だが、まだ眼を閉じたまま。

意識を取り戻していなかった。

――――あれから、3日間。
リナリーは出来るだけ青年の元を離れようとはしなかった。

3日前までは科学班の所にいることが多かったが、今はこの部屋にいることの方が多かった。

食事を取りに行く時間も、睡眠時間も削って青年の側に居た。

「リナリー、食事を持ってきたよ」

青年が眠っている医療室、療養所の個室に、料理を乗せたトレーを持ったコムイが入ってきた。
持ってこないと食事を取るのも忘れ、リナリーが食事を抜かしてしまいかねないからだ。

「ありがとう、兄さん。ごめんね、忙しいのに・・・」

迷惑をかけるつもりはなかった。
でも、青年の元になるべく居たいが為に、ついついこの場から動けなくなるのだ。

食事を取りに行こうとしないリナリーの為に、仕事を抜け出しては食事を運んでくるコムイ。
いつもは仕事を抜け出すコムイに文句を言うリーバーも、理由が理由なだけに何も言おうとしなかった。

「ねえ、リナリー。どうして、そんなに彼のことを気にしてるんだい?」

コムイの眼鏡が光る。何かを疑っているようだった。

(どうして、って・・・、それは・・・・・――)
「ほ、ほら、私のこと、助けてくれた人だし、私が連れて来たんだし、やっぱり責任感じちゃって・・・。
こう・・・、心配で放っておけないのよ」

「ああ、なるほど。でも、あんまり無理しちゃいけないよ。彼は大丈夫だ。時期に目も覚ます。
当分は動けないだろうけどね」

返ってきたリナリーの返事に、コムイは安心したように表情を崩した。

「―――失礼します」

軽くノックされ、部屋にリナリーの知らないひとりの美しい女性が入って来た。
スタイルも良く、綺麗に化粧をした金髪美人。
姿からすると医療班の看護婦のようだ。

「えっと、あなたは・・・?」

「ああ、紹介するよ。彼女は昨日、新しく医療班に入った人なんだ」

「はじめまして、シリア・アセリスよ」

「はじめまして、私はリナリー・リーよ」

ふたりは握手を交わす。

シリアは、ベットで寝ている青年がしている点滴を交換し始めた。

その最中、密かに彼女が青年に熱い視線を向けているのに、リナリーは気がつく。

「それでは、失礼しますわ」

点滴の交換を終えて、シリアは笑顔で部屋を出て行った。最後に青年を見て。

リナリーの心境は穏やかではなかった。

「優秀なんだよぉー、シリアくんは!仕事が出来て美人。一部の男性に人気なんだ」

「・・・・・・そう」

彼女の話を訊いて顔を伏せるリナリーを見て、自分がシリアのことを褒めたから淋しがっているのだと
勘違いするシスコン。

「大丈夫だよー!ボクはリナリーが一番だから!リナリーが一番可愛いよおー!!」

そんなことを大声で言われ、恥ずかしい。
しかも怪我人が寝ていると言うのに。

「もう!兄さん、仕事に戻って!」

「えー」

「私もすぐに行くから!ほら早く!」

「うう、わかったよ。でも、リナリーは少し休んでからおいで」

「・・・うん」

心配して気遣ってくれる兄が部屋を出て行く背中を、リナリーは嬉しさと感謝の気持ちで見ていた。

コムイが部屋を退室すると、今度はベットで寝ている青年に視線が行く。

頭と胸に巻かれた包帯。腕には点滴。
痛々しい姿だ。

目が覚めても当分は動けない――、兄に言われたことが納得できる。

「―――――早く目を覚まして・・・」

寝ている青年に向けて、囁くように告げだす。

「助けてくれたお礼が言いたいの、ありがとう・・・って。直接あなたに、私の口から言いたい。訊いてもらいたいのよ」

青年の顔を上から覗き込む。
相変わらず端整な顔だ。

男なのに・・・、羨ましい。

「だから・・・、早く目を覚まして・・・」

指先で、少し薄い色の茶色の髪に触れた。

触れた髪も綺麗で、ほんとに羨ましい。





* * * *





「コムイしつちょー、ハンコくださーい」

疲れ気味のリーバーが、機械の側で作業をしているコムイの元に書類を持って近づく。

「んー、ちょっと待ってねー。今、分析結果が出そうなんだ」

振り返ることなく、機械を見たまま答えるコムイ。

「分析?なんの分析ですか?」

「3日前にリナリーが連れて来た、ケガをした新人だよ」

コムイは機械から順番に出てくる分析結果を一束にまとめていく。

「寝てるうちにイロイロと検査したんだけど、彼には不可思議なところが多くてね。詳しく分析をしているんだ」

分析結果の書類を一束にまとめ終わる。

「どれどれぇ、なんかオモシロイ結果は出たかなぁ〜」

好奇心旺盛なコムイがわくわくと、『堕天使分析結果』と書かれた一ページ目を捲る。

青年からダークブルーの翼が生え、堕天使のようだったと、リナリーと探索部隊(ファインダー)から訊いている。
それで題名が『堕天使分析結果』なのだろう。

―――ページをめくったコムイは、信じられないものを見たと言う風に目を見開いて固まった。

「室長?」

不思議に思ったリーバーが声を掛ける。

声を掛けられことで正気に戻ったコムイは、見間違いのないように、だが凄い速さで書類を読み捲っていった。

「コムイ室長!?そうしたんですか!?まさか・・・分析結果、人間じゃないとでも!?」

そのコムイの只ならぬ様子に、リーバーにも緊張が走る。

「いや・・・、検査で人間だと出ている。でも・・・、そんな・・・、ありえない!
こんなことがあるなんて・・・。―――彼は人間だ、しかしこんな人間がいるハズがないんだ!!
それにイノセンスの反応も・・・・・」

驚きのあまり呆然と書類を見ていたコムイの元に、食事を終えたリナリーがタイミング良くやって来た。

「どうしたの?兄さん」

可愛らしく首を傾げるリナリー。

「ふっ、ふふふふ・・・・・・」

「し、室長・・・?」

「あっはははははは!!」

「コ、コムイ兄さん・・・!?」

書類を握り締め、狂ったように笑い出すコムイ。

「リナリー!彼は何者なんだろう?彼の謎はスゴイよ!これは今までを覆す新発見になるかもしれない!!」

<彼>とはベットで寝ていいる青年のことだとリナリーはすぐに分った。
だが何故それが、兄が狂い笑いをする理由なのか理解できない。

「こうしちゃいられない!イロイロと試してみないとv

コムイは書類を持ったまま楽しそうに走って行ってしまった。おそらく青年が寝ている部屋に行ったのだろう。
その顔は、新しいオモチャを手に入れた子供のよう。

リナリーは嫌な予感がした。

「ちょっと兄さん!彼に何する気!?何かしたら許さないんだからっ!!」

ダークブーツ(黒い靴)を発動させそうな勢いで、コムイの後を追いかけるリナリー。

去って行った兄妹を見ながら―――。

「室長ー、リナリーに蹴り殺させる前に、書類にハンコくださいよー」

リーバーはコムイに同情はしなかった。
むしろあんな兄を持ってしまい、苦労するリナリーに同情した。





* * * *





医療室の療養所の個室。

小さな机と、窓にカーテン。茶髪の青年が寝ているベットに点滴。
それしかない殺風景な部屋だった。

リナリーが部屋を出て行った後、コムイが科学班で分析結果が出てくるのを待っていた頃。

ベットで寝ていた青年の指が動く。
金色の双眼が開かれた。

「・・・・・・・・・・・・」

夢を見た。
<あいつ>の夢を―――。でも決して良い夢ではない。

ここ最近は、この夢ばかりを見る。何かを予感させるかのように。

青年は、切なそうな顔をする。

感情が欠乏している彼だけに、それは少しの表情の変化だった。良く見なければ、無表情との変化が分りにくい。

表情を戻す青年。

青年の眼は、見方によっては寝ぼけているようにも見えるが、そうではない。
コレが青年はいつも眼なのだ。―――何も宿っていない眼。

腕にしている点滴を無造作に外しながら、周りを見て情報を取り込む。

「ココは・・・、黒の教団か。俺はまだ、ココに来る時期じゃないのにな」

当分は動けない身体と診断されたと言うのに、青年は平然と起き上がるとベットから降りた。

自分の格好を見る。

頭に包帯が巻かれているのが感覚で分る。
上半身には何も着てなく、包帯だけが巻かれている。
下は自分が履いていたベージュのズボンとは違う。おそらく教団で支給されている物だろう黒いズボンを履いていた。
裸足。靴は見当たらない。

「イノセンスに、まだ慣れないか。身体も服も構成できない」

仕方ない、っとひとりで納得した青年はドアへと歩き出した。

「ん?」

部屋の外をたまたま通りかかった団員が、寝たっきりで意識を戻さないと訊いていた青年の部屋から、
物音が聴こえたことに不思議に思い、ドアの前で立ち止まる。

ドカ

「ぐぎゃあ!!」

鍵が掛かっていないので、ドアノブを回せばドアは開くというのに。
破壊的に、内側から青年に蹴り壊されたドアの下敷きにされる団員。

青年は何事もなかったかのようにドアの上を問答無用で踏み歩く
ドアの下から聴こえる、「うげっ!ぐわっ!」と悲鳴を上げる団員を完全無視して

怪我人とは思えない足取りで、スタスタと青年は歩いて行ってしまった。

その後、通りかかった別の団員に、踏まれ潰されてヒクヒクと痙攣している団員が発見されたそうだ。





まだ青年が寝ていると思っている部屋へと、楽しそうに向かうコムイ。

青年に何かをしようとしている兄を止めるべく、後を追いかけるリナリー。

ふたりは、まだ知らなかった。
―――ふたりだけではない。黒の教団の全員が思いもしなかっただろう。

青年、彼が教団で起こす騒ぎの数々を―――。
ある意味でも、彼が最強無敵の、とんでもない人物だということに・・・・・・。








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